エイベックスの歴代社長の一覧(評判・評価)

名前 評判・実績・評価など

鈴木一成

(すずき・かずなり)

【就任期間】
1988年4月~
1995年1月

松浦勝人氏と共にエイベックスを立ち上げた創業者チームの一人。1987年10月に創業。初期の会社立ち上げに、中心的な役割を果たした。

貸しレコード店

貸しレコード店「友&愛」のフランチャイズ加盟店である西八王子店(東京都)のオーナーだった。 当時、全国に広がっていた友&愛チェーンの中で、ひときわ優れた売上高を誇っていた上大岡店の松浦勝人氏に注目する。 松浦氏が、副業として行っていた他店舗への輸入レコードの卸売りビジネスに興味を抱き、他の加盟店オーナー2人とともに事業化を計画した。

町田連行事件

事業化を計画した鈴木氏の3人組は、松浦氏の9歳年上。 松浦氏を何度も誘ったが、色よい返事をもらえなかったが、本人の意向を無視して東京都町田市のマンションの一室にオフィスを構えてしまう。勝手に松浦氏の机と椅子まで用意する始末。

ある日、松浦氏を「ドライブに行こう」と誘い出し、車で町田まで連行。パソコンの前に座らせると、さっそく業務を依頼する。社名も「エイベックス」と決まっていた。さすがの松浦氏も「まあ、いいか。やるか」と受け入れた。 このトリッキーな連行事件が、エイベックスの創業の出発点となった。

1988年4月11日、法人化

最初は個人事業だったが、順調に売り上げが伸びたため、1988年4月11日に法人化。鈴木氏が初代社長に就任した。松浦氏は取締役(企画部長)を引き受けた。 社名は「エイベックス・ディー・ディー株式会社」。ディー・ディー(DD)とは、ダイレクト・ディストリビューション(直販)の略だった。 資本金300万円。業務内容は「輸入レコードの卸売り」。

営業で顧客を増やす

鈴木氏が熱心に営業を行ったこともあって、輸入盤の販売先は数百店舗に増えた。 さらに「TSUTAYA」などにも販路を広げ、早々に数千店舗と取引するようになった。


依田巽

(よだ・たつみ)

【就任期間】
1995年1月~
2004年8月2日

【生まれ】
1940年5月27日

大学卒業後、オサダグループ(旧称:長田電機工業/当時:長田電機製作所)に入社。山水電気を経て、エイベックス顧問に就任。輸入ビジネスや権利関係の知識・経験を活かして、音源の買い付けに世界を回った。1993年に会長就任。

入社年次

1988年

出身校

明治大学

略歴

  • 1963年 オサダグループ(旧称:長田電機工業/当時:長田電機製作所)に入社
  • 1969年 山水電気入社
  • 1986年 山水電気取締役兼米国法人社長
  • 1988年 山水電気退社
  • 1988年 エイベックス顧問就任
  • 1990年2月 エイベックス取締役
  • 1992年 エイベックス取締役会長
  • 1993年 代表取締役会長
  • 1995年 社長も兼務

山水電気時代

アメリカ駐在

山水電気でアメリカに駐在。35歳から10年間、米国暮らし。1988年1月から取締役を1期(2年)務めた。

独立

米国駐在中に独立を決意。そのとき考えたのが、できるだけプレッシャーのない仕事をすること。

つまり、在庫を持たない、売掛金がない、そして人件費が掛からない。

そのうえで自分に何ができるかと考えて、日本とアメリカの懸け橋となれる「輸出入の顧問業」を始めることにした。

山水の取締役退任後の1988年3月に、現在の「ティー ワイ リミテッド」を設立。

「フランチャイズビジネスに可能性があるのでは」と考え、フランチャイズのショーに行く。

そのなかの1つのブースに飛び込みで入って話をしていた。

「友&愛」の創業者である牛久保洋次氏が経営する「ピザ・カリフォルニア」のブースだった。

そこで牛久保氏「若い人たちのCD輸入を手伝ってくれないか」と相談される。こうして出会ったのが、松浦氏らエイベックスの創業メンバーだった。

エイベックス顧問に就任

1988年8月エイベックスの顧問に就任。法人化の4か月後だった。このとき依田氏は48歳、松浦氏は23歳、鈴木社長は32歳くらいだった。

当時のエイベックスはダンス系CDの輸入を専門としていたが、権利関係を取得すればいいのか分からなかった。依田氏は音響メーカーに長年勤務していたため、CDソフトに関してもツテがあった。米国の輸入業者「CDワンストップ」との縁もとりもった。

松浦氏が、どんな曲がいいか、どのプロデューサーに頼むか、などを判断し、そのリストをもとに、依田氏が海外メーカーに「エイベックス商標」のレコードをつくってもらうという流れができた。

銀行とのやり取り

やがて銀行とのやり取りを主導するようになる。その過程で、取締役のポストを要求し、ついには代表権も要求するようになった。

弱みに付け込む

一方、鈴木社長は家庭内に問題を抱えていた。専務になっていた松浦氏も、父親の借金などで1億円近い負債を背負っていた。

こうした状況下で、依田氏は株式公開の計画を推進。松浦氏らに対して持ち株の譲渡を求めてきたという。

鈴木氏を追い落とす

第三者割当増資で鈴木氏の持ち株を引き下げる、「筆頭株主」になった。1993年9月1日、代表取締役(会長)に就任する。最後は鈴木社長の辞任も要求し、1995年からは社長を兼任した。

松浦氏は「僕は依田さんに安く売ったつもりの自分の株を高い値段で買うことになって、4億円ぐらいの借金もしました。その頃は、株式公開の仕組みも知らないから、依田さんの言うとおりになんでもサインしていた」と振り返っている。

一方、依田氏は取締役時代、「邦楽制作」に進出にすること強く反対した。しかし、「trf」が大成功すると、意見を変えた。1999年に東証一部に上場。

趣味(社長時代)

写経

朝。洗顔後に般若心経の写経。

「1000回やれば運勢が変わる」 と言われて始めたもので、今朝で連続2273日、再来年の2005年3月20日で3000回になる。

続いて半身浴と読書(2003年は北京語、2004年は韓国語)。

ストレッチを行い、25種類の食材を使った玄米食で朝食。添加物はほとんど食べない。お昼ご飯なんかも幕の内弁当の時は煮物は食べない。あらゆることをやってます。やってないのはサプリメントを飲むことぐらい。

私生活

睡眠時間は7時間は必ず。どうしても取れない時で6時間、でもどこかで取り返す。


松浦勝人

(まつうら・まさと)

松浦勝人
創業者

【就任期間】
2004年9月28日~
2018年6月

【生まれ】
1964年10月1日

創業者。社長という肩書がない時代から、実質的には社長としてビジネス全般を主導した。

貸しレコード「友&愛」のフランチャイズ加盟店である港南台店(横浜市)の学生バイトで大活躍し、不振の店を繁盛店へと短期間で立て直す。

店舗オーナーが2店舗目(上大岡店)を出す際に、学生ながら共同オーナーとなる。この店も大成功させる。

日本で知られていない音楽を海外から輸入し、全国の貸レコード店に対して卸売りするビジネスを立ち上げる。

さらに、CD販売を経て、レコード制作会社へと拡大。自らプロデューサーを務め、trfをデビューさせる。さらに安室奈美恵、ELT、浜崎あゆみを生み出す。

ミリオンセラーを連発するアーティストを多数抱える大レコード会社に急成長させた立役者である。

創業

貸しレコードのバイトから出発

日本大学(日大)の在学中の1985年4月から、貸しレコードのチェーン店「友&愛」のバイトを開始(当時20歳)。友&愛は、牛久保洋次氏が起業した日本最大の貸しレコードのチェーン。フランチャイズ方式を採用しており、松浦氏らが働いたのは、加盟店オーナーとなった重野正昭氏の初出店となった「港南台店」(横浜市港南区、1985年4月13日オープン)だった。

恩師・重野正昭

重野氏は大学卒業後、高千穂交易に入社。システムエンジニアとして11年間勤務。

1979年7月に脱サラ。小僧寿しチェーンのフランチャイズ店舗を開業した。

1985年4月13日に貸しレコード店「友&愛」港南台店をオープン。

父は地元横浜銀行の取締役だった。

高校時代の仲間たち

重野氏は学生アルバイトとして、小林敏雄氏(後のエイベックス社長)と林真司氏(後のエイベックスCFO)を雇う。2人は高校時代(横浜市立金沢高校)の同級生だった松浦氏を重野氏に引き合わせた。

バイト先の港南台店を立て直す

1985年4月の港南台店出店から5か月目、資金繰りに悩んでいた重野氏が胃潰瘍で入院。それをきっかけに、店の運営を小林、林、松浦の3氏に任せるようになった。

ダンス音楽の輸入盤で集客

当初は、経営不振だった貸しレコード店だったが、松浦氏が中心となってあっという間に立て直した。松浦氏は自分が好きなダンスミュージックのレコードを仕入れ、 自分で推薦コメントを書いて店に置いた。これが、若い客を引き寄せた。

キャンペーン

さらに「1日だけ入会金0円」というキャンペーンを行い、学生たちを大量に会員にさせた。売り上げは急増した。

バイトを始めて半年後、重野氏に商才を買われ、松浦氏はバイトの身分ながら店長に就任する。

上大岡店を開業するため、「ミニマックス」を設立

1986年6月6日、「友&愛」上大岡店(同区)を開業する。

開業するにあたって、1986年5月、「ミニマックス」を設立。

資本金2000万円。松浦氏の父親(中古車店の経営者)と重野正昭氏が共同出資(折半)した。

「入会したら無料で2枚借りられる」などのキャンペーンで、開店当初から大繁盛。

すでに同じ駅前には4店舗くらいあったが、一人勝ちとなった。

松浦はミニマックス設立のときに父から借りた1000万円を、1年で全額返済したという。

ダンス音楽を、全国の貸レコード店に売る会社

上大岡店には他店の経営者が続々と視察に来た。売れていて全国的に有名だったからだ。彼らに「うちの店のレコード仕入れもやって欲しい」と頼まれた。

10店舗、20店舗、50店舗と増えていった。そこで、別会社にしよう、と考えた。

エイベックス起業

初代社長となる鈴木一成氏らとともに、大学卒業の翌年1988年4月に会社設立。

輸入卸業者で勝利

当初は店で買っていたが、問屋から仕入れるようになる。さらに自ら輸入するほうがいいということになった。

そこで人材を探していたところ、依田巽と出会う。1988年の夏だった。「米国と日本の橋渡し」として依田を顧問に招く。

それ以降、鈴木、松浦、依田の3人で世界の輸出業者と交渉し、契約を結んだでいった。

「未発売CD」の輸入へ

レコードが縮小し、CDの時代に突入する。

松浦氏は、大量の在庫を自前で抱え、小売店が欲しい時にすぐに卸せるようにする体制を整えるべきだと考えた。

依田が紹介した米国の「CDワンストップ」と提携。「返品枠」を設ける見返りに、保証金7000万円を要求される。

松浦氏の父親が3500万円を支出し、残りの3500万円を鈴木氏がかき集めた。

これにより、「WAVE」「HMV」「ヴァージン」「タワーレコード」など通常の大手レコード店に輸入盤を卸すようになった。

輸入卸からメーカー(レコード会社)へ

次ぐにユーロビートのCDアルバムを売りことにした。

イタリアでいい曲ばかりを集めたCDを、現地のレコード会社に作ってもらい、その権利を買い取って、輸入盤として国内販売する。

すなわちコンピレーションアルバムだ。

「スーパー・ユーロビート」シリーズとして大成功した。

さらに今度は、自分たちでレコードを作ることにした。

1990年2月、東京都町田市にレコーディング・スタジオ設置し、友&愛のアルバイト星野靖彦に、曲を作らせた。

「スーパー・ユーロビート」シリーズには、VOL.9から「自主制作曲」を組み入れた。

こうしてレコードレーベル「avex trax」が立ち上がったのだった。

小室哲哉と出会う

次に、TM NETWORKをユーロビートにして、海外の歌手に歌わせようと考えた。

1992年に小室哲哉氏とプロデュース契約。さらに「一緒にやろう」となり、それがTRFにつながっていく。

就任の経緯(内紛劇)

千葉龍平

2004年7月30日、依田巽氏が率いるエイベックス取締役会で、千葉龍平常務の「常務の辞任勧告」と「関連会社アクシヴ社長解任」が決議された。

千葉氏は、小室哲哉とエイベックスを結び付けた偉大な立役者である。

これに対抗して松浦氏は、依田会長の解任動議を提出する。しかし、否決される。

翌日の31日、千葉、松浦両氏が辞表提出する。

8月1日、エイベックスが辞表受理を発表。理由は「一身上の都合」。

看板プロデューサーである松浦氏の辞任に、株主が動揺する。

週明けの8月2日は株価がストップ安となった。

同日夜、浜崎が松浦氏支持と移籍をほのめかすファクスをマスコミ各社に送った。

これを追うように浜崎あゆみが「松浦専務の辞任が受理されるのであれば、それは同時にエイベックスの終焉(しゅうえん)を認めるということになる。 彼の存在とともに浜崎あゆみの行方も決めさせていただきたいと思っております」とホームページで移籍を宣言。

他の有力アーティストらも、松浦氏支持のメッセージを発表した。

翌3日午前、エイベックスは松浦氏と千葉氏の復帰を発表。

夜10時すぎに依田氏が東京都内で会見し、会長兼社長を辞任し、名誉会長に就任することを発表した。

後任社長には、松浦氏の学生時代からの仲間である小林敏雄常務(当時39歳)が就いた。

あくまで暫定的な社長就任だった。

その2か月後、松浦氏が満を持して社長に就任する。

社長就任時の年齢

39歳

社長就任前の役職

執行役員

前任者の新ポスト

小林敏雄前社長は常務取締役に就任。

出身校

日本大学(経済学部)

その他の略歴

1999年にDA PUMPのISSA主演で製作された東映映画「ドリームメーカー」のモデルとなった。

2003年8月に元モデルの亜希夫人(当時22歳)と結婚。

2004年春長女が誕生。

出身地

横浜市

動画

<創業の話▼>
※青汁王子のインタビューに答える。


黒岩克巳

(くろいわ・かつみ)

くろいわ・かつみ

【就任期間】
2018年6月~
現在

【生まれ】
1972年1月19日

社長就任時の年齢

46歳

社長就任前の役職

エイベックスグループ執行役員

前任者の新ポスト

松浦勝人社長は代表権のある会長へ。

入社年次

2001年

略歴

  • 2001年、アクシヴ(現エイベックス・マネジメント)入社
  • 2016年、エイベックス・グループ・ホールディングス(現エイベックス)コーポレート執行役員就任
  • 2017年、エイベックスグループ執行役員就任
  • 2018年、エイベックス社長兼COO就任
  • 2020年6月、社長兼CEO

就任前の実績・評価・評判・口コミ

a-nationなど音楽フェスをプロデュースし、ライブエンタテインメント事業で功績をあげていた。

出身地

横浜市

動画

<インタビュー▼>