クラブ(渋谷)のニュース

クラブ(club)のダンスやヒップホップ、DJ、イベント、ライブ、渋谷でのパーティーの情報やニュースを田副暢宣事務所のスタッフがまとめました。

ナイトクラブ(1991年5月29日、毎日新聞)

今なぜクラブなのか

ディスコブームにとってかわる

若者にナイトクラブが注目されている。中高年が高級酒をたしなむクラブではない。音楽好きの仲間が集まって会話を楽しみ、バーのほかに踊れるスペースもある店。人気のDJやミュージシャンを招いてパーティーを開くことも。服装や名刺のチェック、派手な内装で売ったかつてのディスコブームにとってかわっている。今なぜクラブなのか。

DJ
ブラックミュージック中心の六本木のクラブ

東京・六本木のクラブ、ドゥルーピードゥルーワーズはブラックミュージック中心。穴蔵のようなところだが音楽好きにはちょっと知られた店だ。常連客の一人という飲食店勤務の若者は「好きな曲だけをきいて落ち着き、昼間の仕事から解放される。新しい曲を見付けたり知らない人とも友達になれるのがいい」

芝浦のクラブ・ゴールド
倉庫に巨大なスピーカーシステム
女装や肉体美のコンテストを企画

東京・芝浦のクラブ・ゴールドでは毎晩日替わりで行われるパーティーが話題になり、週末には入り口に行列ができる。七階建ての倉庫に少し手を加えただけの建物だが、巨大なスピーカーシステムにだけは専属のデザイナーに頼んで金をかけたといい、ダンスミュージックのビートが体に伝わる。客が企画することもあるというイベントは、女装や肉体美のコンテスト、飛び入り参加ありのファッションショーと多彩だ。

ハウス、レゲエ

さまざまなクラブのイベント企画で活躍するナイトライフプランナーの吉岡たかしさんは「音楽はニューヨークやロンドンからきたブラックミュージックや、DJが曲と曲をミックスして作るハウス系、レゲエなどいろいろだが、クラブに共通するのはこだわり派が集まるところ」。

アーチストのたまり場

「店もただ曲を流すのでなく、個性的なDJをそろえて中身で勝負している。海外の都市ではずっと前からそんなアーチストのたまり場があったのだが、日本でもやっと3年くらい前から西麻布周辺に店ができ、広まった。今はクラブでないと客が入らない」と説明する。

DJショーやゲイファッションのショー
大阪市西区の期間限定クラブ・パラノイア

大阪市西区の倉庫でも1990年、8カ月の期間限定でクラブ・パラノイアができ、DJショーやゲイファッションのショーなど自由な発想による企画で話題をさらった。仕掛け人のプロデューサー、森本泰輔さんは「クラブは自分なりのいろいろな楽しみ方ができる。踊らせるための道具はそろっているが、いつ行っても同じ、というディスコへの反発があったのは確か」とみる。

ターンテーブルの回転

このクラブで重要な役割を果たすのがDJ。ただ選曲するだけでなく客の様子を読み取り、ターンテーブルの回転を操作して曲をアレンジする。もちろん、海外の新しい情報を仕入れたり昔のナンバーから今に合った曲を掘り出すセンスも必要だ。

DJはクラブのナビゲーター
人気DJが加盟する日本音楽選曲家協会

多くの人気DJが加盟する日本音楽選曲家協会の代表、桑原茂一さんは「クラブが表現の場とすればDJはナビゲーター。聴く者の気持ちに働き掛けられるような能力も求められる」。

渋谷のDJバー
大学のサークルも

DJにあこがれる若者も多い。渋谷のDJバーによくいくという立教大学4年の女子学生は「大学でもDJのサークルがたくさんある。ターンテーブルを回す練習をしたり私たちは銀座で週1回トークショーの番組も作ってる。良い音楽を探すために中古レコード屋にも良くいきます。今は皆CDばかりだから」。

心の時代…ディスコも変わる

こんな状況からディスコも少しずつ変わってきた。

六本木ヌー
マエストロと呼ばれるホスト役

1991年4月、東京・六本木にオープンしたディスコ「ヌー」は客同士のコミュニケーションが売り物。マエストロと呼ばれるホスト役が要望に応じて他の客を紹介してくれる。仕事で「こんな情報を持っていそうな人がきたら教えて」とか「そこで踊っている可愛い女のコを紹介して」などということも可能だ。運営するエー・プロジェクトは「今までのは内装や照明などを売ってきたがハードの部分はすぐ飽きられてしまう。ソフトで勝負しないと」と話す。

東京都港区のジュリアナ東京
音楽と連動するインテリジェントライティング

1991年5月15日、東京都港区にオープンした「ジュリアナ東京」は大規模なディスコでは初の外資系。英国から派遣されたDJ、コンピューターで音楽と連動するインテリジェントライティングなどリッチな空間を演出するが、入り口で服装をチェックしたり男性だけの入場を断るという制限はない。客はジーンズにTシャツの学生風やセクシーなミニドレスのOL風などさまざまだ。経営する日本法人ジュリアナズジャパンは「内装もシンプルで制限は一切なし。皆が楽しく遊ぶことだけが目的」という。

店のイベント化

都内4カ所でライブハウス、カフェバーを展開してきたインクスティックの松山勲社長はこんな動きを「店のイベント化」と呼ぶ。「1980年代は店が強気でいられたが1990年代はナイトビジネスを見る客の目も肥えてきたしゴルフ練習やフィットネスなど夜の使い方も多様化している。物を追いかける時代と精神を満たそうとする時代がいつも交互に来るのだが、今は音楽、カルチャーとか仲間意識など、心の時代なんでしょう」

東京・渋谷~ヒップホップ・ダンス(2005年6月2日、産経新聞)

路上発「楽しむ」から「見せる」

繁華街で踊っている若者を見かけた人も、多いはず。だぶだぶのジーンズ姿などで、リズムに乗って自由に体を動かす。ときに腰やおなかを支点にしてコマのように回転する…。「ヒップホップ・ダンス」とも称される路上の遊びだが、最近、それを教室で教えるダンススクールが若者の街、東京・渋谷で急増している。さながら、“ダンスする都市”の様相だ。

宇田川町交番前の一等地にダンススクール
IDA渋谷校がオープン

若者でごった返す宇田川町交番前。渋谷の一等地に2005年3月、「IDA渋谷校」がオープンした。総面積310平方メートルの3スタジオを構え、この地区では最大規模を誇る。

ガールズヒップホップ
重低音が響くノリのいい音楽

平日夜、「ガールズヒップホップ」のクラスをのぞくと、重低音が響くノリのいい音楽にあわせ、22人の女性が踊っていた。都内の会社員、長田ユミさん(30)は「楽しい。最初はテレビで見てカッコいいなと思ったのがきっかけ。習いはじめて『自分でもこんなことができるんだ』と新しい発見があった」と話す。生徒の多くは、スクール主催のイベントでダンスを披露するため、練習に励んでいる。

IDA渋谷校
子供用のクラスや24時間営業も検討

現在の会員数は700人。「IDA渋谷校」を主宰する桂木マヤさんは「1年後に会員数3000人が目標。子供用のクラスを作ったり、24時間営業も考えています」と意気込む。

ヒップホップとは
NY発祥のストリートカルチャー

ヒップホップは1970年代にアメリカ・ニューヨークの南ブロンクス地区で生まれたとされ、DJ、ダンス、ラップ音楽、グラフィティー(スプレーの落書き)などを含んだ、ストリートカルチャーの総称。日本では1990年代はじめごろから、ダンスを中心にヒップホップが広まり、女性や子供も踊るようになったのがここ数年の特徴だ。

フリーペーパー「ムーヴメント」
多数のクラブやレコード店

ヒップホップ専門のフリーペーパー「ムーヴメント」もある。角政光編集長は「スクールの増加は全国的な流れですが、クラブやレコード店が多い渋谷は最大のダンス市場。ここ2、3年でスクールは急激に増えました」と話す。

女性限定のダンススクール
酸素バーやネイルサロン

スクールの増加で生徒の獲得競争が激しくなり、独自色を出すスクールも。女性限定の「レイ ダンス コレクション」(平成15年9月オープン)は酸素バーやネイルサロンなど美容サービスを充実させた。「ヒップホップになじみのない20代や30代の女性を取り込みたかった」と田中浩司社長。オープンから2年あまりで、20代女性を中心に会員数は1300人になった。

渋谷のダンススクール

渋谷では、スクールは十校を超えるという。

趣味の域を越えたストリートダンス
体全体を使うヒップホップ

なぜ、ヒップホップをスクールで習う人が増えたのだろう。雑誌「ダンスマガジン」編集長で、評論家の三浦雅士さんは「ツイストなどこれまでのストリートダンスは素人の趣味だったが、ヒップホップは趣味の域を越えた」と指摘。その一番の理由は「技のすごさ」にあるという。これまでのダンスは足の動きが中心だったが、ヒップホップは手足のほか、背中、頭など体全体を使う。

観賞用のダンスへ

「踊っている本人が楽しいというストリートダンスが、見ている人を驚かせるのが楽しい、という観賞用のダンスになった。パリではすでに劇場でヒップホップが上演され、芸術的なダンスになりつつある。そんな中、習いたいという人が増えたのでしょう」と三浦さん。ストリートから「文化」が生まれようとしているのだろうか。

クラブ音楽の「2ステップ」が上陸(2000年9月8日、朝日新聞)

ポップスの革命、2ステップ

MJコール、クレイグ・デビッドが渋谷のクラブイベントで公演

2ステップ。ロンドンのクラブで最新型と言われるダンス音楽だ。中でも注目されるMJコールとクレイグ・デビッドの2人が、このたび東京・渋谷で開かれたクラブイベントに登場した。一部ではポップスの革命とも騒がれている2ステップとは、どんな音楽なのだろう。

はねたと思えばつんのめるようなリズム

ターンテーブルを操るMJコールがつむぎ出す音は華やかだ。若者で満ちたクラブには、録音された女性ボーカルにかぶさり、一定の調子で、はねたと思えばつんのめるようなリズムが流れていた。これが2ステップというものらしい。

ハウスの流れ
1小節に2つの変則リズム

「定義の段階にある音楽だから、本当の意味は10年後じゃないとわからない」。れい明期から活動するコールはこう話す。1997年ごろ生まれた2ステップは、1980年代のクラブで流れていたダンス音楽、ハウスの流れにある。コールによると、ハウスでは4つ打ち、つまり音の背景で、1小節にドン、ドン、ドン、ドンと拍を打つのが一種の決まりごとになっていたのに対し、例えばドド、ツッ、ドゥンドゥン、ツッなどと1小節に2つの変則リズムが流れるのが2ステップだという。

ソウルフルな女性ボーカルも

ことばの説明では分かりにくいが、ハウスや発展型のドラムンベースでは、こうした音が重く低く鳴っていたのに対し、2ステップはどことなく明るいイメージになるのが特徴ともいえる。コールが5月に発売した初アルバム「シンシア」には、そんなリズムが随所に盛り込まれているが、多くの曲にソウルフルな女性ボーカルが入っており、一聴しただけでは、単なるR&Bアルバムなんじゃないの、とも言いたくなる。

R&Bやヒップホップと親和性が高い

「R&Bやヒップホップと親和性の高いリズムなんだ」とコール。もともとクラシック畑だったが、青年期に当時のクラブカルチャーに出あい衝撃を受ける。しかし、ハウスやドラムンベースが次第に技術優先で、いかに凝った音楽を作るかという技術競争になっていくのに飽きてきたともいう。

エモーショナルな音楽

「エモーショナルな音楽が好きなんだ。感情を揺さぶるリズムを作ろうとした結果が2ステップかもしれないね」

「キング・オブ・ツーステップ」
ボーン・トゥ・ドゥー・イット

もう一方、19歳ながら「キング・オブ・ツーステップ」と言われているクレイグ・デビッドは1991年5月6日に「ボーン・トゥ・ドゥー・イット」を出したばかり。ところが、イベントでは、歌った4曲のうち3曲が、ギタリスト1人だけの伴奏。2ステップとはどんなもの?への回答を期待した向きには、肩透かしに終わった。

2ステップの可能性

コールは「彼はすでに歌手、ソングライターとしての道を歩み出しているようだね。ぼくは2ステップの可能性を追い求めていくけど、2ステップという分野を作りたいんじゃない。あくまでもいい音楽を作るための手法でしかないんだよ」。

エイベックス「THIS IS 2STEP」発売
モンド・グロッソの大沢伸一が選ぶ「real 2step」

すでに2ステップのコーナーが置かれているレコード店も出始めている。入門編としてエイベックスから「THIS IS 2STEP」、ソニーからはモンド・グロッソの大沢伸一が選ぶ「real 2step」など編集盤が発売されている。

渋谷でNY「ロフト」パーティー(1998年7月16日、毎日新聞)

元祖「クラブ」がやってくる

DJのディビッド・マンキューソー

若者文化の一つの潮流を作っている「クラブ」の原点になったとされる1960年代後半のニューヨークで始まった「ロフト」(LOFT)パーティーが、日本に上陸する。

1960年代,70年代のホーム音楽パーティー
商業主義を廃した独特の空間感

「ロフト」は、ニューヨークで1944年に生まれたDJ、ディビッド・マンキューソーが、1968年、招待客を相手に始めたホーム音楽パーティー。精神的なメッセージを込めたトリップ感のある選曲と原典のサウンドを大切にする姿勢は、客の評判を呼ぶとともに、その後のDJスタイルに大きな影響を与えた。さらに、商業主義を廃した独特の空間感が、現在の「クラブ」シーンの原点になったといわれる。

「グラン・ダディ・オブ・クラブ」
渋谷オンエアー・イースト

「グラン・ダディ・オブ・クラブ」と呼ばれるマンキューソーが日本でDJを行うのは初めて。「本物」の空気が味わえそう。1998年7月17日渋谷オンエアー・イースト▽1998年7月25日クラブ・チッタ川崎▽1998年7月29日プレシャス・ホール札幌。

風営法クラブ規制反対 署名7万超(2012年9月25日、朝日新聞)

元クラブ経営者やDJ、国会議員ら

風俗営業法の適用によるクラブの摘発が相次いでいる問題で、風営法からダンスに関する規制を削除するよう求める署名が7万筆を超えた。2012年9月12日に都内で開かれた「レッツダンス署名推進委員会」主催のシンポジウムでは、元クラブ経営者やDJ、国会議員らが、取り締まりの実態や法改正のプロセスなどについて意見を交わした。

レッツダンス署名推進委員会
10万筆の手書き署名を目指す

クラブ利用者や弁護士らでつくる推進委は5月の設立以来、各地の音楽フェスティバルやイベントなどで署名を呼びかけてきた。約7万4000筆の手書き署名と、約1万3000筆のウェブ署名が集まったという。10万筆の手書き署名を集め、国会へ提出することを目指している。

風営法改正
超党派の国会議員

シンポで、民主党の寺田学衆院議員は、風営法改正について超党派の国会議員10人程度で議論していることを報告。「私もクラブに行くが、いい音楽を聴き、お酒を飲むための場がなぜ規制されるのか。ただ、暴力団の資金源になったり客が酔って近所で騒いだりと、様々な問題があるのも事実。クラブ側も直すべきところは直していかないといけない」と発言した。

国会でダンスパーティーの提案

共産党の塩川鉄也衆院議員が「国会議員はクラブについて知らない人も多い。国会でダンスパーティーを開いてはどうか」と提案。会場から「賛成」という声があがった。